本を読んで
人魚の眠る家 を読んで、色々考えさせられた。
脳死や臓器移植の事とか。。。
主人は交通事故に遭い、3日間意識不明となった。
病院では、一度は何とかとったけれどそれ以降はCTもとれないほどに脳の損傷が激しくて、どうしようもない。と…
体は全く綺麗なのに脳だけは全く活動していないって。
いつ亡くなってもおかしくない。朝方までもたないかも知れない。って言われた。
その時に、つまり脳死ですか?ってきいたら、医者は
脳死の様なものです。
って、答えた。でも、正直、脳死じゃないなら何なんだ。脳死の様なもの?って思ってたけど、本を読んで初めて知った。
臓器提供を承諾する場合に、脳死判定をするんだね。だから医者は脳死の様なものって言ったのか…。
脳死のテストにも2回あって時間がかかるみたいで。主人は残された時間が僅かだったから臓器提供の話はなかったのかな。
入院中、義父にも、
臓器提供とか考えなあかんな。って言われてた。
その時は、臓器提供かぁ。ぐらいにしか考えてなかった。まだ実感がなかって、夢だと信じたかったから。
でもそれから正直、ずっと主人の臓器は提供できたのか、もし出来ていればすれば良かったのか今でも考えている。
今さらどうもできないし、医者からの話もなかったし、
実際には、
温かくて自発ではないが呼吸していて、寝ているようにしか見えなかった主人を死んでいるなんか認める事が出来たかと言えば無理だったかも知れない。
だから、小説の主人公の気持ちがすごいわかった。
でも生前、免許とかに意思表示はしていなかったけれど主人は臓器でもなんでも使ってくれ。って言ってた。
それをしてあげることは出来なかった事に対して申し訳ない気持ちと、
もし提供することで誰かの中で主人がまだこの世を生きている。と思えたのかも知れない、とかずっと考えてきた。
まぁ答えはないけど。
私は医療の世界には全く関わってきていない人間だから、言えるだけであって実際はそんなに甘くないだとか、専門的なものも色々あると思うけど。
あたしも、免許に意思表示しようと思った。
あたしがしっかり意思表示していたら、残された遺族が悩んで苦しくはないだろうし。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。